Learning by doing
実践しながら学ぶ|vol.17
tanetoのテーマの一つは「 – Learning by doing – 実践しながら学ぶこと」。環境問題に取り組みたいと思っても問題が複雑に思えて「何をしていいのか分からない」という声も多いなか、正解のないこの時代に進む道をみつけ、ひと足先に「めぐる暮らし」をはじめているあの人にお話を聞いてみるコーナーです。
今回お話を伺ったのは、堤 庸策さんと小杉 厚貴さん

堤 庸策/arbol 代表、Digital nomad architect
自身の不調をきっかけに、自然と調和する暮らしへ。固定の住まいも事務所もなく、小さなサコッシュのみで世界中を旅するミニマリストな建築家。

小杉 厚貴/OKOME CRAFT
2024年北杜市白州町にて就農したという、元ぴたらファームスタッフの厚貴さん。天日干しの無農薬米を栽培中。仲間に助っ人してもらいながら営むミニマム農夫。
二人との出会いのキーワードは、作家の四隅大輔さん。四角さんが運営するオンラインサロンLIFESTYLEDESIGN.CAMPの中での会話が弾み、北杜市へ足を運んだのは昨年のこと。土の感触からいのちの循環を感じとり、共に育て、分かち合う喜びを体現するお米農家の厚貴さんと、オフグリッドビレッジという形で、テクノロジーと自然が調和する暮らしの可能性を追求している建築家の庸策さん。お話を伺う中で、人と自然のこれからの関係性のあり方や、効率や便利さだけでは測れない豊かさがあるということを改めて考えさせられる時間でした。編集長である私もちゃっかりまざって、tanetoではじめての対談記事です。ぜひ、二人の世界観にふれてれてみてくださいね。
人と自然のこれからの関係性を辿ってみたら
みえてきたのは「制約の中から生まれる創造性」だった|前編
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舞 今日はお二人が今の事業を始めた原点や、どんな価値観で日々過ごしているのか教えいただきたいと思います。よろしくお願いします…!
厚貴 僕は今年から米農家として独立して、「OKOME CRAFT」という屋号で事業を始めました。主な活動として、無農薬米の生産と稲作の技術を教えています。昔ながらの、お互いを助け合って米づくりをする、”結のシステムを現代風に復活できないかなと考えていて、仲間に声をかけて一緒に進めているところです。昨年までは北杜市の「ぴたらファーム」というコミュニティファームでスタッフをしていて、そこで学ばせてもらっていました。

米への思いとしては、食べるよりも作る方が好きですね。基本、一人で事業をしているのですが、自分だけでできない時は仲間に助けてもらっています。ぼくもでる範囲で仲間にお礼をしたり、お手伝いをすることもあって、そういったやりとりから生まれる一体感やお互い様の気持ちがすごく好きです。あと泥の中に足突っ込んでいい職業ってそうないじゃないですか。思う存分、泥だらけになれるのも気持ちよくて好きです。
今、教わっている師匠がいるんですけど、その方がすごくいい意味で変態で、知識も豊富だし、その方から聞く様々な手法を実践するのも楽しいですね。畑だと小規模でも始めやすいんですが、田んぼを小規模でやっている人ってまだまだ少ない印象があります。特に機械がないとなかなか難しい面があって。そこで、僕のような農家が少しサポートに入ったり、機械のシェアリングを試してみたりして、小さい農の可能性を探っています。
みんなで協力し合いながらも、それぞれのこだわりは大切にする。そんなミニマムな形での稲作が広がればいいなと思っています。

僕たちの畑がある場所は中山間地域。ここには大規模農家さんがやりたがらない小さな田んぼがたくさんありますが、個人や家族での稲作には十分な広さなんです。耕作放棄地がどんどん広がっていく中で、このままでは大小問わず田んぼを維持するのが難しくなっていますから、そういった田んぼを守っていきたいですね。
でも、僕は田んぼだけが大事だとは思っていなくて。田んぼがあるということは、上流から水が流れてきているということ。田んぼから出た水は川へ流れていきます。だから上流のことも、下流のことも考えないといけない。それに、動物たちとの共存という課題もあって。今年はイノシシにやられてしまいましたけど(笑)動物との共存のためにも、山や森の整備も同時にやっていく必要があると思っています。
そうやって土地と向き合い、呼応するように生きるというのがテーマですね。田んぼをやることが、その呼応して生きることにつながっている感覚があります。もっと多くの人が、もっと気軽に、自分のスタイルで田んぼを始められるようになってくれたら嬉しいですね。
庸策 僕は建築家をしています。自営で始めてから18年くらいになるんですけど、当初から「自然素材を使ってシンプルで温かみのある空間」をテーマに経営してきました。
事務所立上げ当初の頃から人や地球に優しい材料を選択する様にしていて、言い換えれば面積を少しでも広げる為に安価で人体に有害なものは使わない様に心がけていました。最近は自然と融合した建築を求めるクライアントさんが増えてきて、面白い仕事をさせてもらっています。

なぜ自然素材にこだわるかというと、僕の経験が関係していて。生まれが東京で、途中神戸に住んでいた時期があったんですけど、工場の排ガスがひどくて喘息みたいになってしまって。夜も横になって寝れないくらいだったんです。それが徳島のど田舎に引っ越したらピタッと止まって。これか!って。空気の質がこんなにも体に影響するんだということを実感したんです。
振り返ってみると、親が白砂糖は体に良くないって教えてくれたり、庭にコンポストを置いていたり。当時は生ゴミを入れると臭いだけのものだと思ってましたけど、僕がコンポストと焼却炉担当で、土が豊かになっていく過程を小学生の頃から体験できたのはすごく良かったですね。
今までは住宅や商業施設の設計をしていて、年々相談の規模は大きくなってくるんですけど、大きなビルとかの案件はピンとこなくて。自然を取り入れる意向がある大型案件であれば取り組んでいきたいんですが。
最近は「オフグリッドビレッジ」という、電気や水道などのインフラに頼らない自給自足の暮らしの場づくりに取り組んでいます。それに教育や医療、食育なんかも含めて、そういうエコビレッジが数十ヶ所で繋がっていったら面白い世界ができそうだなって。建築設計をコツコツやりながら、その第一歩として、日本中を廻ってここ八ヶ岳でオフグリットハウスを始めたという感じですね。

厚貴 原体験があるっていいですよね。僕のおじいちゃんも米づくりをやってたんですけど、当時は全然興味なくて。でも今になって、米づくりを手伝ってみればよかったなと思います。そういう原体験がなかったから、20代の頃は本当に自分のやりたいことは何かをとにかく探しました。そこから気になるオンラインサロンに入ったり、北海道で大きな地震にあったり、そういう経験も相まって、米や野菜を自給していくことにどんどん興味をもったんです。
会社をやめてから友達のつてで、有機農家さんが若者向けのシェアハウスを始めるという話があったときに、畑と田んぼ付きで「田んぼはやるでしょ」って期待されて。シェアメイトと一緒にやり始めたのがきっかけなんです。畑も楽しかったんですけど、田んぼが何より充実感があって。
最初は自給ベースでやったんですけど、無農薬で全部手作業だったから本当に大変で。これは続かないぞって絶望したときに、農業と経済のバランスとか、暮らしと働き方のバランスについて考え直すことになって。それで去年スタッフをしてた「ぴたらファーム」っていうコミュニティ農業をやってるところに関わることになりました。
そのぴたらファームが解散になって、ぴたら村というコミュニティとして再スタートする時、そのコミュニティでは、お米を専門でやる人がいなかったので、チャンスだと思って米農家として独立しました。畑をやってる仲間は既に2人いて、人がやってることをそのままやっても面白くないなと思って。コミュニティを絡めながら米づくりをやっていく事に、すごくやりがいと楽しさを感じています。

違和感が気づかせてくれる
自然との一体感
庸策 環境にいいとか体にいいとか、そういう言葉って僕には少し違和感があって。それって当たり前じゃないですか。地球があって、自然豊かな環境があってこそ僕らは色んなことができるわけで。その辺の現代社会への違和感がずっとあるんです。
厚貴 ほんと、そうですよね。僕も資本主義的な物の考え方とかに疑問があったからこそ、農業の道に進んだところもあります。環境に優しいという意識的なものじゃなくて。それって本来、生きることに直接繋がってるはずなのに、今はそこが切り離されてる。その乖離こそが違和感の正体じゃないのかな。
だから僕のやることって、言い換えれば、本来は意識しなくても環境に優しいことに全部繋がってるはず。それ以外のことはできれば避けたいんですけど、そういかない時は、現実との折り合いをつけながらやってます。一人じゃできないから、コミュニティとか仲間の力を借りようって考えるようになりました。
庸策 都会にいて息苦しくなって自然の多いところに行くって時に、「環境にいいから」とか「自然が好きだから」って言葉で片付けちゃうけど、もっと自然な望みというか…。究極的には、体と心は一つじゃないですか。
僕らが心地いいと感じることは、大きく見れば地球や環境にとっても心地いいことだし、周りとの関係が心地いいってことは僕自身にとっても心地いいことなんですよね。なんかファッションとしての環境志向じゃなくて、「これがいいよね」みたいな表面的なものじゃなくて。自分の感覚と、この地球や環境の感覚が一つになっているというか。そんな感じかな。
厚貴 お米づくりって田植えから収穫まで半年かかるんです。もっと言うと、前年の秋から準備が始まっている。その中で天気を見ながら、「今年はこうだったね」って言いながら作っていく。環境の変化を感じたり、「動物が去年よりもたくさん人里まで降りてきているね」みたいなことを仲間と話しながら、それに対応して仕事をしていく。それが僕にとってはすごく腑に落ちるというか。趣味であり、仕事であり、暮らしの一部である。そういう一体になった感じが、一番納得感があるんです。人と自然って本来、切り離せないものなんですよね。
庸策 そう、僕はそこを大事にしたくて。自然とか仕事とか暮らしとか、そういう区切りがない。全部が繋がってるからこそ、やってる感じがします。よく「人間が地球を壊してる」って自虐的に言うけど、そうじゃないと僕は思っていて。身体に悪いとか地球に悪いとか言っても、有毒って言われるものですら、全部地球由来のものですからね。僕たちだって、made in 地球。
自然と調和した住まう環境ができればできるほど、より良い循環になっていく。そんなフェーズに人類の活動がシフトして来てるんじゃないかと思います。今は表層に色々な形で問題が出ているけれど、それを戻すことができるのも人間かもしれない。
厚貴 それ、おもしろいっすね!地球が生まれてから、原子は一つも宇宙に出てないという話を最近聞いて。CO2が増えてるというのも、炭素の存在の仕方が変わっただけで、総量は変わってないんですよね。

舞 研究所の先生と話していた時に、「人間って行動したくなる生き物だから、抑圧するんじゃなくて、行動すればするほど環境にいい仕組みを考えればいい」と話していて。例えば、走れば走るほど炭素を吸収する車とか、そういうのも実際に開発されてたりするんですよね。もちろん技術的にはこれからでも、ちゃんと人類って進化しているなと思って。
環境に関わる話をしだすと、確かに「人は地球にとって存在しちゃいけないものなんだ」という人類の否定から入る事がすごく多いけど、でも、暮らしの中で困っていることを解決しようとしてこういう世界になってしまっただけで、誰が悪いわけでもない。まずはそこに立たないと、なかなか解決しない気がして。環境活動家も傷ついてる人が多いけど、守りたいのはみんな一緒。人も環境も、必要なのは癒しだと思うんです。
庸策 僕もずっと考えてて。人が発展する大きな理由の一つがフィクションを信じられるってことなんですよね。人間は何千人、何万人単位で団結できる。宗教の力だったり、政治の力だったり、お金っていうフィクションの力で動いてる。でもそこに、知らず知らずのうちに魂に従わないようなことが刷り込まれいって、それが自己否定に繋がってるのかもしれない。
舞さんが言ってたように、そこから開放されて、一人一人が癒されて。人がより人らしくいられる。そのフェーズを超えてからじゃないと、本当の変化は始まらないんじゃないかな。マズローの段階でいう自己実現みたいな。自己実現してからようやく自己超越して利他的になれる。
僕がオフグリッドビレッジの中で大切にしたいのは「自己解放」というか、「自分を見つめること」。大事な人たちと過ごす時間って、どうしてもおろそかになりがちなんですよね。それを満たすような空間、「精神と時の部屋」みたいな魂の再起動ができるような場所。それってオフグリッドと相性がいいんじゃないかって。

身体感覚を磨きながら
自分の立ち位置を決めていく
厚貴 今の人って、身体感覚からかなり切り離されちゃってるんじゃないかな。土に触れて「ひんやりしてる」とか「ネバネバしてる」とか「ここは固い」とか。昔、砂場で遊んでた時みたいな感覚。僕たちが地面の上に立って生きてるっていう、その当たり前の感覚との繋がりが切れちゃってる。
農作業やってて思うんですけど、「どうしたらこうなるのかな」って考えながら土に触れてると、気持ちよさとか匂いとか、すごく感覚が開かれていく感じがするんです。そういう身体感覚に訴えかける経験をもっとみんなした方がいい。
そういう体験から内的な動機というか、「こうしたい、ああしたい」っていうクリエイティブなエネルギーが生まれてくる。それが原動力になって、アクションを起こそうっていう気持ちに繋がってくるんです。でも都会に行くと、それが失われちゃう。僕は農業を始めるまで、そういう感覚を取り戻せなかったなって。
みんなにもっと、自然に触れるだけじゃなくて、ちゃんと身体で感じてみる経験を大切にしてみてほしい。例えば、みんなで味噌作るときに、ホカホカの大豆に手を突っ込んだ時のあったかくて気持ちいいかんじ。考えるより先に幸せだなって僕は思う。それって頭で考えてるだけじゃわからないんですよね。

一回経験した方が早いというか、ダイレクトに人の中に入ってくる。そうなると人って自然と気持ちが解れて、もっとクリエイティブになれる気がします。今って多くの人が頭で考えすぎなんですよ。感覚が伴っていなくて、競争の中で利益の争奪戦になっちゃう。でも本来は、それぞれが好き勝手やってるだけで、循環して調和するはず。それが自然の摂理だと思うし、人もそうある方が楽で楽しいんじゃないかな。
まとめると、身体感覚を取り戻そう、感覚から思考をアップデートしようよっていいたいです。いろんな問題が身の周りで起こっていて、あれもこれもやらなきゃって気になるんですけど、身体感覚を取り戻すことから始めてみようよって。何歳からでもできるし、結果的に何事にもつながってくると思う。
庸策 いろんな人と話してると、オフグリッドに対して「大変でしょう」とか「面倒くさそう」とか「お金かかるでしょう」ってよく言われるんです。完璧なものじゃないといけないって思われがちなんですよね。
例えば「うちは水道が来てるからオフグリッドじゃないですよね」って言われるんですけど、「いや、電気だけ自給で充分じゃないですか」って。あるいは普段は電気も引っ張っておいて、緊急時用に自家発電の設備を置くだけでもいいと思うんです。そう言うと「そんなんでもいいんですか」って。笑
実践していく時に100点思考じゃなくていい。1点でもいいじゃないですか。
厚貴 畑もそう。「移住して、一年中朝から晩まで見守らないといけない」みたいな。そんな風に思っちゃうから「大変そうだな」って尻込みしちゃう。僕が教えてもらってるところは面白くて、いろんな農法をやってる方々の、いいとこを取り入れて、自分達流にカスタマイズしてるような人なんです。それがすごく大事だと思っていて。教わってる師匠は埼玉だから気候とかが違ったりして、全部を鵜呑みにはできない。
だから本を買ったり、他の人にも話を聞いたり。いいなと思ったところはすぐ実践してみながら、「こういう立場の人がこう言ってたけど、どう思います?」みたいに、情報を交差させて確認してみたり。頭から入るより、ちょっとでもいいから実際に楽しい経験をする方がいい。収穫して「美味しい」と感じる、そういう経験こそが大事だと思います。
僕は、無農薬とか化学肥料を使わないとかにこだわりすぎるのではなく、試しにいろんなやり方を教わって、小さく結果がでるようにすぐやってみる。納得いかなかったら他の方法も試してみる。農薬を使う方法を試してみて、納得いかなったら、今度は農薬使わないでやってみるのもありだと思う。教わったり、学んだことを掛け合わせながら、どんどん自分なりのやり方を見つければいい。
オーガニックや無農薬が好きな人には残念かもしれないけど、現状は農薬を使って大規模にやってる農家さんたちに生活の基盤を助けられてるのは間違いない。出荷量の大半をそういう農家さんが担っているのが現状。それがないと、地球上の人々は食べていけないわけで。だから、現状は現状として受け止めて、自分達はどうしていきたいかを話していきたいし、それぞれがやりたいことにトライしていけるといいと思います。

arbol
堤 庸策 @yousakutsutsumi
HP https://www.arbol-design.com
Instagram @arbol_design

OKOMECRAFT
小杉 厚貴 @atsuki.kosugi
HP https://okomecraft.base.shop
Instagram @okome_craft/
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岩崎 舞|@taneto_mai
エシカルメディア「taneto」編集長。山梨在住、2児の母。セラピスト歴18年。憧れの起業家はYAMAPの春山さん。人生の物語りと哲学、めんどくさくて泥臭いことが好き。

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